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渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』読了

投稿者 fujimoto:2013年10月25日 13:20

渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』(講談社現代新書)読了。
今の人は詩とはぐれていると、著者は言う。
私もその一人だ。
詩人である渡邊十絲子さんのことも知らなかった。
現代詩は難しい、だからこそ面白いんだ。
著者は、そう言って胸を張る。
詩と向き合って欲しい、格闘して欲しい、という思いが、
ストレートに伝わり、気持ち良い。
取り上げられている黒田喜夫、入沢康夫、
安東次男、川田絢音、井坂洋子といった詩人の詩も
どれも、とてもいい。★★★★
黒田喜夫の詩が、とても凄いので、
全文紹介する。

「毒虫飼育」

アパートの四畳半で
おふくろが変なことを始めた
おまえもやっと職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
それから青菜を刻んで笊に入れた
桑がないからね
だけど卵はとっておいたのだよ
おまえが生まれた年の晩秋蚕だよ
行李の底から砂粒のようなものをとりだして笊に入れ
その前に座りこんだ
おまえも職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
朝でかけるときみると
砂粒のようなものは微動もしなかったが
ほら じきに生まれるよ
夕方帰ってきてドアをあけると首をふりむけざま
ほら 生まれるとこだよ
ぼくは努めてやさしく
明日きっとうまくゆく今日は寝なさい
だがひとところに目をすえたまま
夜あかしするつもりらしい
ぼくは夢をみたその夜
七月の強烈な光に灼かれる代赭色の道
道の両側に渋色に燃えあがる桑木群を
桑の木から微かに音をひきながら無数に死んだ蚕が降っている
朝でかけるときのぞくと
砂粒のようなものは
よわく匂って腐敗をていしているらしいが
ほら今日誕生で忙しくなるよ
おまえ帰りに市場にまわって桑の葉を探してみておくれ
ぼくは歩いていて不意に脚がとまった
汚れた産業道路並木によりかかった
七十年生きて失くした一反歩の桑畑にまだ憑かれてるこれは何だ
白髪に包まれた小さな頭蓋のなかに開かれている土地は本当に幻か
この幻の土地にぼくの幻のトラクタアは走っていないのか
だが今夜はどこかの国のコルホーズの話でもして静かに眠らせよう
幻の蚕は運河に捨てよう
それでもぼくはこまつ菜の束を買って帰ったのだが
ドアの前でぎくりと想った
じじつ蚕が生まれてはしないか
波のような咀嚼音をたてて
痩せたおふくろの躰をいま喰いつくしているのではないか
ひととびにドアをあけたが
ふりむいたのは嬉しげに笑いかけてきた顔
ほら やっと生まれたよ
笊を抱いてよってきた
すでにこぼれた一寸ばかりの虫がてんてん座敷を這っている
尺取虫だ
いや土色の肌は似てるが脈動する背に生えている刺状のものが異様だ
三十年秘められて妄執の突然変異か
刺されたら半時間で絶命するという近東砂漠の植物に湧くジヒギドリに酷似している
触れたときの恐怖を想ってこわばったが
もういうべきだ
えたいしれない嗚咽をかんじながら
おかあさん革命は遠く去りました
革命は遠い砂漠の国だけです
この虫は蚕じゃない
この虫は見たこともない
だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている
肩にまつわって蠢いている
そのまま迫ってきて
革命ってなんだえ
またお前の夢が戻ってきたのかえ
それより早くその葉を刻んでおくれ
ぼくは無言で立ちつくし
それから足指に数匹の虫がとりつくのをかんじたが
脚は動かない
けいれんする両手で青菜をちぎりはじめた

【本・音楽】

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